以前、2007年2月15日に放映されたアンビリバボー「シークレットサンタ」のことについて紹介したことがあります。
再び目を通して大変感動しましたので、再度日記に取り上げます。
アメリカでクリスマスになると、貧しく困っている人々に現金をプレゼントする男性がいた。彼はいつしか「シークレットサンタ」と呼ばれるようになりました。
20年前に遡ります。
1971年11月、23歳のラリー・スチュワートは会社が倒産し路頭に迷っていました。
あまりの空腹に耐えきれず、ついレストランに入って取り憑かれたように注文してしまったのです。
請求書を出されて、ようやく我に返り、お金を持っていないことに気づきました。そして、なんとかその場を取り繕おうとポケットの中を探すフリをしながらも、警察に突き出されても仕方がないと思っていた時でした。
その時、一人の男性店員がラリー・スチュワートの横でしゃがんで、20ドル札(現在約2000円)が落ちていたと渡してくれました。お陰で彼は会計を済ませることができました。
店を出て、ラリーは、あの20ドルはその店員がそっと気がつかないように拾った振りをして、何も言わずに自分にくれたのだ、と気がつきました。
そして、この人生最大の苦境に偶然手に入れた20ドルが、後に彼の運命を変える重大な鍵となったのです。
1972年、運良く拾った20ドルの残りを旅費にカンザスシティに移り住んだラリーは、警備関係の会社を起こして懸命に働きました。結婚し子供も生まれたラリーは幸せな生活を手に入れたかに見えました。
だが1977年12月、不況で会社が倒産し、その日の食事代にも困るほど追いつめられたのです。
その貧しさのせいでラリーは我を忘れ、銃を手に銀行に入り、強盗を働こうとしました。その時、幼い少女が20ドル札を銀行の人へ渡す風景を見て、ハット我に返り銀行強盗をすんでの所で思いとどまることができました。
改心したラリーは1978年、妻の兄の紹介である会社のセールスマンとして働くようになりました。だが彼はまたしても試練を与えられることになったのです。
1979年12月、その会社の経営が思わしくないということで、ラリーは解雇されてしまったのです。もう助けてもらうあてがないと途方に暮れていた時でした。
ふと目についた売店に立寄り、ポップコーンを注文したのです。店員の女性は暗い表情で、違う商品とおつりをラリーに渡しました。
ラリーは彼女が困っているのだと思い、おつりの中から20ドル札をプレゼントしたのです。
彼女は受け取れないと断りましたが、ラリーはクリスマスプレゼントだと言って手渡しました。この日はクリスマスだったのです。
女性は嬉しそうに礼を言いました。その笑顔がラリーを明るくし、彼は思いも寄らない行動をすることになったのです。
そのままラリーは銀行に行くと、なけなしの貯金を引き出し、白いオーバーオールに赤い服とベレー帽という姿で町に繰り出しました。そして困っているような人や貧しい人に20ドル札をクリスマスプレゼントとして手渡したのです。
シークレットサンタが誕生した瞬間でした。
20ドルは大金ではなかったが、困っている人々にとっては大きな助けとなり、喜んで受け取ってもらえました。
このことがラリーの人生にも思わぬ影響を及ぼすことになるのです。
家に戻ると、妻が「銀行にいったところ、お金が全部下ろされて、残っていなかったけど、あなたが下ろしたの?」と聞かれました。
ラリーはお金は下ろしたが、お金は落としてしまったのだと答えたのです。
すると妻は怒るどころか、「仕方がないわね、でもあなたは幸せそうね」と、微笑むだけで一つも文句を言いませんでした。
翌年の1980年、ラリーは友人と長距離電話の会社を設立し、懸命に働きました。そして、その年のクリスマスにも道に立って人々に現金をプレゼントする活動を続けました。その金額も少しずつ多くなっていったのです。
不思議なことにシークレットサンタとなって施しをすればするほど、会社の業績が上がり、長年の切り詰めた生活から抜け出ることができ、家族のために家や新しい車を買えるまでになったのです。
ラリーの妻も町中でシークレットサンタの噂を耳にするようになりました。彼は家族にも言っていなかったのです。
彼はそれからも一年も休むことなくシークレットサンタの活動を続けましたが、9年目の1987年12月、ついに妻にシークレットサンタがラリーであることがわかってしまいました。
すまないと謝るラリーに、妻は「素敵なことじゃない。これからはもっと節約して、たくさんの人を助けられるように協力するわ」と答えた。
以後、家族もラリーの活動を知って陰から支えることになったのです。
1995年、地元ではすっかり有名になっていたラリーは匿名を条件に取材に応じました。
一方ラリーは多くの人に感謝されるにつれて、ある人物に会いたいという思いが募っていった。そして1999年12月、ミシシッピ州のトゥペロという小さな町のある男性宅を訪れた。
その男性とは、28年前の1971年、一文無しだったラリーに、20ドルは落ちていたものとして、彼にくれたその人でした。
ラリーはテッドの20ドルがなかったら刑務所に入っていただろうといい、自分の人生を正しい方向に導いてくれたお礼にと、ラリーはテッドに1万ドル(約100万円)の入った封筒を渡しました。
それは受け取れないというテッドに、ラリーは自分が今あるのはあなたのおかげだと引かなかった。結局、テッドは受け取って、その1万ドルを、近所の病気で困っている人たちや生活に苦しい人たちのために使ったのです。
当時テッドは、警察に突き出すのではなく、自らの過ちに気づき、他人への優しさを知って欲しいと思って20ドルを差し出した。それをずっと覚えていて、サンタ活動を続けたことには頭が下がる、とテッドは話していました。
そしてラリーのサンタ活動は全米に広がった。
2001年には世界貿易センタービル爆破事件のあったニューヨークに行き、ホームレスや職を失った人を中心に2万5千ドルを配りました。
2005年にはハリケーンで壊滅的な被害を被ったミシシッピ州を中心に7万5千ドルを配り、27年間で配った総額は150万ドル(約1億5千万円)になりました。
だが昨年、シークレットサンタがついにカメラの前に現れ正体を明かしました。彼は昨年4月、食道ガンのため治療しなければ1ヶ月生きられないと宣告されたのです。
正体を明かしたのは、自らの命の宣告を受け、身近な人への思いやりを広げて欲しいというメッセージを送りたかったからです。
その反響は大きかった。2日間で7000通もの手紙やメールが彼のもとに届いた。大半は自分もシークレットサンタになりたいというものだった。
その年のクリスマスも彼は病気を押してサンタの活動を行いました。そのお陰で多くの人が笑顔でクリスマスを迎えることができました。
今年1月12日、ラリーは58歳で静かにこの世を去りました。それでも彼の笑顔と優しさは数えきれないほどの人の胸に永遠のサンタとして刻み込まれたでしょう。
生前ラリーは、シークレットサンタ協会を設立、会員資格は少なくとも1回他人への親切な行為を行うこと。今でも世界中から登録の申し込みが後を絶たないそうです。